札幌まつり

市民のまつり 札幌まつり

北海道神宮の神様は、現在の場所にお鎮まりになられてより道民の皆様の心のよりどころとして仰がれ、札幌さらには北海道の発展を見守られてこられました。その神様の恵みに対して市民こぞって感謝し、六月十五日を例祭日と定め、平安を祈られてきた祭りが【札幌まつり】です。

鳳輦(ほうれん・神輿)の渡御は、明治十一年に「御鳳輦を市中にお迎えしたい」という市民の願いが叶い、毎年、市民の手で渡御を行うことになり、戦時中の二度の中上のみで今日まで受け継がれてきました。

最初の渡御は円山崇敬講と各区の世話人が中心となり、やがて祭典を年番で奉什する祭典区が各地区ごとにでき、大正十五年には全市民を講員とする「敬神講社」が発足し、今日の市民総参加の敬神講社と祭典区制度が確立しました。

【札幌まつり】は、年番祭典区代表委員長が市民を代表し、北海道神宮敬神講社講長を務め、年番祭典区を中心に、祭典区及び青衣講・佼祇講・山車保存会・万灯保存会・維新勤王隊・舞楽会・札幌青果物商業協同組合・開拓神社祭典委員会・札幌電気工事業協同組合・JAさっぽろ・さざれ石会などの崇敬講及び諸団体の奉仕と、市民及び〈札幌まつり振興会〉の浄財を得て、市民主催の祭りとして、今も活き活きと受け継がれています。

御祭神と由緒

明治二年、明治天皇は北海道の開拓をすすめるにあたり、北海道の大地の神様である大国魂神(おおくにたまのかみ)と大那牟遅神(おおなむちのかみ)と少彦名神(すくなひこなのかみ)を開拓の守護神として祀り、明治四年に札幌神社と社名を定め、現在地に社殿を造営しました。

それ以来「北の大地を守る北海道全土の総鎮守、道民の氏神様」として道民の皆様に尊ばれ明治三十二年には官幣大社となり、昭和三十九年には明治天皇をお祀りし、北海道神宮と改称し「北海道総鎮守の神社」と親しまれています。

  • 大国魂神(おおくにたまのかみ):北海道の大地をお守り下さる神であり、大自然の恵みを与えて下さる神です。
  • 大那牟遅神(おおなむちのかみ):国土を開発され、北海道が益々栄えることを手助けされる神であり、別の名前を大国主命(おおくにぬしのみこと)といわれ、生活の向上、産業の発展をお守りされる神です。
  • 少彦名神(すくなひこなのかみ):大那牟遅神と協力し、国作りをなされた神で、医療や医薬、醸造など手助けされる神です。
  • 明治天皇(めいじてんのう):近代日本の礎を築き、北海道の開拓に大きな力を注がれ、国民に慕われ仰がれている神です。

六月十四日 宵宮祭

例祭の前日に行われる神事です。

六月十五日 例祭

北海道神宮で行う一年に一度の最も重要な祭りが例祭です。御神前に海川山野の産物をお供えし、祝詞では皇室の繁栄、国家の隆昌、地域の平安を祈ります。

真心をこめて祭祀に勤しむこと、素直な気持ちで神々に感謝することが、より一層御神威を高めることとなり、私たちが神々の「お蔭」をいただけることになるのです。

御祭神 明治天皇は

「ちはやぶる神のまもりによりてこそ  わが葦原のくにはやすけれ」

「わがくには神の末なり神まつる  昔のてぶりわするなよゆめ」

と詠まれ、神々のお蔭で生かされる地域の一人ひとりが、祭りの当事者として諭されています。

六月十六日 神輿渡御

  • 発輦祭(はつれんさい):御祭神が市内を巡るために本殿から神輿にお移りいただく時の神事です。
  • 万灯(まんど):大正四年の「社務日記」に「数千ノ万灯ヲ点ジ」とあります。その行列の先頭をつとめたお囃子が現在に伝わっています。
  • 維新勤王隊(いしんきんのうたい):大正十五年、京都平安宮の時代祭りの楽士招いて修得につとめて以来、渡御の先駆を奉仕します。
  • 渡御(とぎょ):御祭神に街の繁栄ぶりをご覧になっていただくために市中を巡ります。
  • 山車(だし):元来神霊の依りますことを標示した物でしたが、後世装飾が華美になり、囃子の音曲も加わり賑かなものになりました。
  • 還輦祭(かんれんさい):一日中、市街を巡られた御祭神が本殿にお還りいただく時の神事です。

渡御隊列図(鳳輦4基)

渡御隊列図

北海道神宮 連合山車

北海道神宮の例祭と神輿渡御

北海道神宮の例祭及び神輿渡御は、大正の初期に「札幌祭」(さっぽろさい)と呼ばれ、後に札幌まつりと称されるようになりました。毎年六月十五日の例祭を中心に、十四日に宵宮祭、十六日に神輿渡御が行われます。

神輿渡御は、明治十一年六月の例祭に際して、遙拝所(現在の頓宮)兼ねて神道事務分局が完成したことに合わせ、神輿一基と山車が市内を巡行したことに始まります。遙拝所は市民の寄付により完成し、神輿渡御もまた、人々の集めた費用で賄われました。その後、神輿渡御を恒例化する請願がなされるなどして、明治十二年の例祭より神輿渡御が正式に行われるようになりました。各地から移住してきた人々にとって、地域の精神的な紐帯としての祭礼を必要とし、これを神輿渡御に求めたといえます。

神輿渡御に関わる諸事を行う組織が祭典区で、現在、三十一の祭典区があります。祭典区制は明治二十六年から始まり、祭典区のなかで各年の中心的な役割を担う区を「年番区」と呼び、明治三十三年より始まりました。明治三十二年にそれまで一基であった神社の神輿が三基となり、大正七年に鳳輦(ほうれん)が三基調進され、昭和三十九年十月には明治天皇が御増祀となられ、鳳輦も四基となりました。札幌まつりは、札幌の街の発展と崇敬者組織の充実により一層整備されていきました。

祭典区と山車

祭典区の人々によって担われる山車。北海道神宮の四基の鳳輦をお迎えし、各所でお囃子や歌舞を演じながら街を練り歩きます。

山車は、多くの人々にとって楽しみの一つです。現在、九つの祭典区が山車を所有しています。山車には人形がつきものですが、当初は頻繁に変更されていましたが、次第に固定化されるようになりました。山車の人気は、山車の舞台で演じられる踊りや囃子です。札幌まつりの山車の特色ともなっています。

札幌まつりの発展は、札幌の街の発展と不可分の関係にありました。札幌の街が開拓地から都市へと変貌するなかで、札幌まつりも祭礼化していきました。江戸・東京を中心とする祭礼文化を受容しながら、人々が札幌の地にもたらした幾つもの地域の文化が混合され、特色ある祭礼文化が札幌の地に花開くことになりました。

第一本府祭典区

第一本府祭典区

現在の山車は、南一条の祭典区で使用されていたものといわれる。一時期巡行を休止していたが、修復を行い、平成八年の年番奉仕に合わせ復活した。山車の建造年等は不詳。屋根に藤の花などの花飾りを施し、山車人形の日本武尊(やまとたけるのみこと)に彩りを添えている。

第三山鼻祭典区

第三山鼻祭典区

現在の山車は、昭和五十四年の建造で当時は馬で曳いていたが、現在は動力となっている。山車舞台は切妻屋根造りで、山車人形は開拓判官 島義勇(しまよしたけ)像で、電動で上下する。現在、山車に約百五十の協賛提灯を飾りつけ、山車を特徴づけている。

第四豊水祭典区

第四豊水祭典区

現在の山車は、大正七年に造られ馬曳きであったが、平成元年に人力に改修した。平成七年には解体修理を行い、舞台を拡張した。古墳時代の短甲に身を同めた、身の丈七尺の素盞鳴尊(すさのうのみこと)を山車人形にしているところから、須佐之男山(すさのおやま)とも呼ばれている。

第六西創成祭典区

第六西創成祭典区

現在の山車は、明治末期に建造された。山車人形は、明治三十五年七月東京神田明神下の人形師佐藤清隆の銘がある。昭和五十八年に馬曳きから動力曳きに改良した。半成二十一年の本年番奉仕にあたり、大改修を行い知品ある山車に生まれ変わった。

第七東祭典区

第七東祭典区

現在の山車は大正二年に建造されたこの山車は、頓宮のある祭典区の紐帯ともなっている。馬曳きのときもあったが、現在は動力曳きとなっている。山車人形は、霊鳥に導かれ大和国に入られる神武天皇像となっている。大正十三年は、明治天皇の像を出している。

第八豊平祭典区

第八豊平祭典区

昭和初期府には七・八・九祭典区の共有の山車であったが、古くて使用できないため、第一祭典区の山車を購入し祭典区の山車とした。山車には衣装、人形(清正・弁慶・菊水等)が付いていたが、現在は加藤清正の人形が豊平の山車として親しまれている。

第九東北祭典区

第九東北祭典区

山車の建造年代は不詳であるが、明治四十三年に大改修が行われている。山車人形は、交通安全や国土繁栄を司る猿田彦命(さるたひこのみこと)であるが、白髪で髭を蓄えている。山車には花飾りが全面に施され、飾り山車として一層の華やかさを加えている。

第十六桑園祭典区

第十六桑園祭典区

現在の山車は、昭和四年に建造された。山車人形は桃太郎で、お供もあしらわれている。雉は剥製が使用され、現在は三代目である。山車は、舟形をしているのが特徴となっている。鬼ヶ島で鬼退治をして、財宝を持ち帰るさまが表現されている。

第二十琴似祭典区

第二十琴似祭典区

現在の山車は、昭和四十五年に琴似神祉が譲り受けたもので、神社では万度山車保存会を結成し、例祭に神賑わいとして奉曳されてきた。平成二十六年より札幌まつりに加わり、祭りに花を添えている。建武の中興の忠臣である名和長年(なわながとし)と、ましらの石の二体を山車人形としている。

出典:北海道神宮 札幌まつり・連合山車より